パソコン創世記
富田倫生氏
第一回
第1回 はじめに―― 1952年に生まれたことへの感謝
第2回 オモチャマシンの革命劇
第3回 弱小「マイクロ部」の誕生
第4回 草むしりと評価用キットの日々
第5回 アメリカからの風
第6回 簡易教材開発作戦
第7回 開幕のベル響く
第8回 ビット・イン日誌に記された兆し
第9回 TK-80への不満
第10回 個人用コンピュータ元年
第11回 大いなる誤解
第12回 二筋の道
第13回 TK-80上の革命
第14回 新人類の加入
第15回 もう1つのベーシック
第16回 ビル・ゲイツとの出会い
第17回 苦しい決断のとき
第18回 逸脱への歯止め
第19回 決断のとき
第20回 ケチケチ体制のスタート
第21回 狼煙上がる
第22回 日電PC帝国誕生
第23回 力はいずこより
第24回 タケシ、君の彼岸としてのパーソナルコンピュータよ
第25回 響く歌声
第26回 逸脱分子の「うた」
第27回 大学受験に背を向けた日
第28回 浅間山荘事件と「警察官募集」の貼り紙
第29回 警察学校よさらば
第30回 明日を食らう虫
第31回 失われたユートピアを求めて
第32回 ヌエのような男
第33回 「陽」の世界への啓示
第34回 再び春日山
第35回 愛という、たよりない言葉
第36回 電話工事の仕事をやめた
第37回 鶏が鶏として生きる
第38回 新島淳良が去る
第39回 太宰治と谷川俊太郎
第40回 悪魔の左手
第41回 マイコン基礎講座
第42回 マイコンのお目ざめプログラム
第43回 機械語に正面から取り組む
第44回 TK-80とタケシ
第45回 タケシ、ソフト開発の仕事を始める
第46回 テクノロジーよ、人に向きなさい
第47回 日本電気の動き、タケシの足跡
第48回 アラン・ケイのダイナブック
第49回 〈思考のおもむくままに〉情報を取り出せる装置
第50回 電子式数値積分計算機=「ENIAC」
第51回 「連想索引」という新しい仕組み
第52回 マウスと名付けた小さな箱
第53回 エンゲルバートと国防省高等研究計画局
第54回 アラン・ケイとFLEX言語
第55回 タブレットと電子ペン
第56回 Smalltalkの萌芽
第57回 紙に勝るディスプレイ
第58回 後藤富雄、1967年日本電気入社
第59回 DECのPDP-8
第60回 トレーニングキット「TK-80」
第61回 ドクター・ドブズ・ジャーナル
第62回 組み立てキット アルテア8800
第63回 アルテアの限界
第64回 MITSの頼りない実在
第65回 デイジー
第66回 レイクサイドスクール
第67回 13歳のビル・ゲイツ
第68回 ポール・アレンとアルテア
第69回 マイクロソフトの誕生
第70回 アルテアとS-100バス
第71回 波に乗りはじめたマイクロソフト
第72回 パーソナル・コンピュータの時代へ
第73回 日本電気のコンピュータ事業
第74回 浜田俊三とNEC
第75回 日本電気のコンピュータへの取り組み
第76回 「電子計算機の気持ちが分かる」
第77回 「これで世の中は変わる」
第78回 3年ぶりの大卒新人
第79回 SENACプロジェクトの遺産
第80回 NEAC-1103
第81回 コンピュータ技術本部第2開発部
第82回 システム100
第83回 オフコン・ディーラー
第84回 マイクロコンピュータ N6300シリーズ
第85回 システム100のLSI化
第86回 「このぶんで行けば黒字が出せる」
第87回 NECインフォメーションシステムズ
第88回 パソコンが仕事の道具に生まれ変わる
第89回 アメリカのパソコンは仕事の道具
第90回 シーモア・ルービンスタイン
第91回 ゲアリー・キルドール
第92回 キルドールのCP/M
第93回 ワープロの需要
第94回 マイケル・シュレイヤー
第95回 3人の育て親
第96回 マイコン入門
第97回 NECビット・イン
第98回 NECマイコンショップ
第99回 新日本電気
第100回 アストラの行く手を阻むもの
第101回 16ビットパソコンの条件
第102回 IBMの誕生
第103回 新世代機 システム360
第104回 DECの躍進
第105回 世界第2位のコンピュータメーカー
第106回 IBM、パソコン市場に参入する
第107回 SCP-DOS
第108回 「IBMを踏み台にして大きくなれ」
第109回 「本気でウェルカム、IBM殿」
第110回 マイクロソフトの拒絶
第111回 パソコン市場の爆発的な成長
第112回 西和彦
第113回 パソコン革命の寵児
第114回 新雑誌 「I/O」
第115回 塚本慶一郎
第116回 西の違和感
第117回 アスキー出版設立
第118回 西和彦、ビル・ゲイツに会う
第119回 古川享
第120回 アスキー出版、マイクロソフトと提携
第121回 上げ潮の男
第122回 MS-DOS
第123回 京都セラミツク社長、稲盛和夫
第124回 このマウスというヤツが
第125回 PARC
第126回 ジェフ・ラスキン
第127回 開発コードネーム「リサ」
第128回 リサのインターフェイス
第129回 アルトの子供たち
第130回 サイバネット工業という隠し玉
第131回 西のハンドヘルドコンピュータ
第132回 マイクロソフトに行って働いてみる?
第133回 ロータス 1-2-3
第134回 浜田の苦悩
第135回 早水潔と小澤昇
第136回 裏の仕事
第137回 三菱電機のマルチ16
第138回 「互換ベーシックを半年で書いてくれ」
第139回 古山良二
第140回 古山、OSと出合い、戸惑う
第141回 ソフトがハードの従属物ではなくなった日
第142回 N-10プロジェクト
第143回 卓上型オフィスコンピュータ「システム20/15」
第144回 勝負はアプリケーションが決する
第145回 「PCサブグループ」の要望
第146回 悪夢の互換ベーシック開発
第147回 古山を苦しめる96Kバイト
第148回 「N88-BASICをそのまま載せているのではないか」
第149回 互換ベーシックの著作権侵害を問うべきか?
第150回 PC-9801の誕生
第151回 「PC-9801対応」と明記してくれ
第152回 「キラーアプリケーション不足」という穴
第153回 「PC-9801は失速する」
第154回 2人の電子少年
第155回 電子少年ウォズニアック
第156回 コンピュータ少年、プログラマになる
第157回 ジョブズ、ウォズニアックと出会う
第158回 ヒューレット・パッカード
第159回 ホームブルー・コンピュータ・クラブ
第160回 アタリと「ポング」
第161回 マイクロコンピュータから延びる道筋
第162回 ボブ・アルブレヒトとベーシック
第163回 ピープルズ・コンピュータ・カンパニー
第164回 タイニーベーシックを自作するホビイストたち
第165回 「ホビイストへの公開状」
第166回 ソフトウェアの空白を埋める共棲
第167回 アップルコンピュータの誕生
第168回 ポール・テレル
第169回 ウォズニアック、カラーグラフィックスに挑む
第170回 1977年、アップルII デビュー
第171回 もう1人の電子少年、伊勢崎に生まれる
第172回 SF小説、ラッセル、テレビカメラ
第173回 「拝啓 JA1BUD西村昭義様」
第174回 エレクトロニクスの天才
第175回 アナログからデジタルへの跳躍
第176回 日本のパソコンをリードした2人の研究者
第177回 MYCOM-4
第178回 マイクロコンピュータの中身を探る連載
第179回 「マイコンの世界」、2人の若きタレント
第180回 西和彦、松本吉彦を誘う
第181回 東大版タイニーベーシック
第182回 トム・ピットマン
第183回 「ちっぽけコンピュータ社」
第184回 ベーシックのいくつもの選択肢
第185回 ベーシックの標準、OSの標準
第186回 テレビカナタイプ
第187回 パソコンは大型のエピゴーネンにあらず
第188回 日本マイクロハード
第189回 独自技術を盛り込もうとするソニーの挑戦
第190回 MS-DOSの衝撃
第191回 ベーシックに閉じこもるか、OSに進むか
第192回 人の心、コンピュータ、インターフェイス
第193回 パーソナル・ダイナミック・メディアへの挑戦
第194回 柔らかなコンピュータ技術
第195回 Windowsプロジェクト
第196回 ハードウェアの中核はASICに凝縮せよ
第197回 PC-100と、新規開発すべきASICたち
第198回 グラフィックス強化と縦横兼用ディスプレイ
第199回 PC-9801が投げかけた疑問符と衝撃
第200回 マック、リサ、日本電気版アルトの開発競争
第201回 マイクロソフトの苦闘
第202回 「GUIを生かしたアプリケーションを!」
第203回 「ディスクベーシックの繁栄」という壁
第204回 孫正義と松田辰夫
第205回 日本ソフトバンク『Oh! PC』とPC-9801
第206回 PC-9801をOSマシンに変身させるシナリオ
第207回 MS-DOS無償提供という「奇策」
第208回 IBMへの信頼
第209回 ジャストシステムの誕生
第210回 受託ではなく「漢字システム」で勝負を
第211回 日本語ワードプロセッサを開発し、全国区へ
第212回 GUIへの突破口
第213回 「僕たちのワープロはきっと認められる」
第214回 藤井展之とコンピュータグラフィックス
第215回 竹松昇と魂の兄弟たち
第216回 アラン・ケイの論文が残したもの
第217回 PC-9801F
第218回 PC-100とダイナウェア
第219回 マッキントッシュへの共感
第220回 PC-9801とPC-100の緊張関係
第221回 パーソナルコンピュータ事業の主役交代
第222回 浜田俊三、PC-100を前にして当惑する
第223回 PC-9801シリーズのライバルたち
第224回 IBM PC/JXの挑戦を受ける
第225回 JXの大惨敗と、捨て身のDOS/Vという選択
第226回 ジャストシステムの長男、jX-WORD太郎
第227回 一太郎とATOKの成功
第228回 PC-9801の市場独占
第229回 ダイナデスクとデスクトップパブリッシング
第230回 マッキントッシュとページメーカー
第231回 歴史の歯車は回り続ける
第232回 西和彦とビル・ゲイツの別れ
第233回 フィリップ・D・エストリッジ
第234回 ハードウェアからソフトウェアへ
第235回 オープンアーキテクチャの夢
第236回 Windowsの長い道のり
第237回 Windows 1.0/2.0の苦境
第238回 ビル・ゲイツと西和彦の、遠い日の約束